5つ星!芝居『秋のソナタ』@東京芸術劇場の感想
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“四季のソナタ”といえば、今や韓流ドラマ『冬のソナタ』が知られるようになってしまったが、私にとってはイングマール・ベルイマン監督の映画『秋のソナタ』との出合いの方がはるかに早かった(『冬のソナタ』も大好きです)。
映画『秋のソナタ』公式サイト
1978年公開のスウェーデン映画で、女優イングリッド・バーグマンの最後の作品である。「1978年なら私はまだ小学生だったのに、なぜこの映画、リアルに覚えているのだろう?」と不思議に思ったら、日本公開は1981年だった。私は中学三年生、ピアノに熱を上げていた思春期だ。下はデジタル・リマスター版の予告編。
さて、あの名作『秋のソナタ』が舞台になる。しかも前評判が高いので、先週木曜、期待して出かけた。期待を裏切らない素晴らしいお芝居だった。ここ数年『33の変奏曲』『テイキングサイド』等、クラシック音楽を題材にした素晴らしい舞台を観たが、その中でも出色だった。
あらすじは下の通り(公式公演ページより転記)。
国際的ピアニストのシャルロッテ(佐藤オリエ)は、長年付き合っていた愛人と死別。その知らせを聞いた娘のエヴァ(満島ひかり)は、自分の家でひとときを過ごさないかと母を誘う。
シャルロッテはこの申し出を受け入れ、7年ぶりにエヴァの住む家を訪ねる。そこには、脳性マヒのもう1人の娘、へレナがいるのだった。母シャルロッテと脳性マヒの妹娘ヘレナも久々の再会だが、母親は正直、再会を喜んではいない。
不快な気持ちを押し殺して、明るく振る舞おうとする母シャルロッテ。母親が持つそのような二面性に、姉娘のエヴァは、長い間苦しめられてきた。母親シャルロッテを告発する、姉娘エヴァの容赦ない言葉のつぶて。
長い長い、地獄のようないさかいの幕が、ついに切って落とされた…。
映画では夫のヴィクトルやもう一人の娘レナも登場するが、この芝居は母シャルロッテ(佐藤オリエ)と娘エヴァ(満島ひかり)の二人芝居となっている。ヴィクトルは食卓の椅子に、レナは車椅子に、あたかも存在するかのように演じられ、作品の軸である「母と娘の激しい葛藤」を際立たさせる演出となっていた。
また、舞台は極めてシンプル。ろうそくの灯火と食卓の白いシーツを効果的に使うことで、母と娘の“光と影”の深層心理をあぶり出していた。1950~1960年代におけるバイロイト音楽祭、ヴィーラント・ワーグナーの照明のみによるミニマムな演出を思い起こした。
音楽は、ショパンの「エチュード 作品25-7 嬰ハ短調」がテーマ曲的に使われていた。この曲は、エチュードというより“小さなバラード”のような内容だ。バスとソプラノを「母と娘の二重唱」と考えると、これは確信的な選曲だ。
また、映画では、娘の演奏するショパンの前奏曲を聴くシーンでのイングリット・バーグマンの心理表現が作品の白眉となっている(下のシーン)。
この芝居では、あたかもそこにピアノがあるかのように二人が“無音の演奏”を行う。そして“無音の演奏”は、これから始まる母と娘のつばぜり合いの前奏曲となっていた。
その後は激しい言葉の火花が散り。母と娘のあまりにも深い愛憎と心の断絶に、観客全員が息を飲んでいた。
私は母シェルロッテの次のセリフが印象に残った。
「(両親)ふたりとも優秀な数学者だった。学問一筋で、支配的で、外面のいい人たち。わたしたちの兄妹の育てかたは、あれは、博愛精神。ほんとうのぬくもりの親心じゃない。褒めるときも、叱るときも、子どもに触れたことは一度もなかった。だから、わたしは表現のしかたを知らずに育ったの、愛情、やさしさ、ぬくもり、そういうものをどう表せばいいのか、自分を表現するチャンスはピアノを弾くときだけだった。」
傷ついた娘のまま母親になったシャルロッテが、やさしさ、ぬくもりを持って娘に接する方法を知らなかったのは当然のこと。「才能とは欠落である」と誰かが言った言葉を思い出した。
再演を期待したい。
「秋のソナタ」公式公演ページ
秋のソナタ [DVD]
監督/イングマール・ベルイマン
出演/イングリッド・バーグマン、 リブ・ウルマン、 レナ・ナイマン他
発売/ 紀伊國屋書店
黒澤明、フェデリコ・フェリーニと並ぶ世界的巨匠イングマール・ベルイマン監督、ハリウッドを代表する世紀の女優イングリッド・バーグマン、スウェーデン出身の二人が激しく格闘した映画史上に輝く奇跡の映画!(Amazonより)