素朴派の絵画とグランミューズの演奏の共通点
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ピティナのステップ見学(2007年11月18日)
郊外の某音大の大教室で開かれたマイナーなステップだった。夕方まではお子様の部は家族連れで満席状態だったが、最後のグランミューズ(大人)の部が始まると一気に人が減り、8人ほどの参加者とアドバイザー、見学者数人という寂しい雰囲気になった。
一人目、地味な雰囲気の中年女性がブルグミュラー25練習曲の「別れ」をお弾きになった。ぽつぽつ詰まりながらのお世辞にも「うまい演奏」とはいえなかったけれど、何とも言えない味わい深さが印象に残った。帰り際、この女性は晩秋の寒空の中、一人、こんな郊外まで「別れ」を弾きに来るのってどんな気分だったんだろう‥‥若い頃に好きだった男性を思ったのだろうか‥‥一時は結婚を決意する男性がいたんだけど、結局、一人でいることを選ばれたのだろうか‥‥。とにかく、小学生がノーミスで弾く「別れ」よりも、はるかに記憶に残る演奏だった。
その女性の他にも、会社の経理課長っぽい男性が神経質な平均律を演奏したり、お婆さんが楽しそうにショパンのワルツを弾く姿を、無理やり連れて来られた風の旦那さんが退屈そうに聴いていたりと、私はグランミューズの空気がすっかり気に入り、自分自身もステップに参加を申し込むようになった。
「素朴派(ナイーヴ・アート)」とは、現代美術用語事典で次のように解説されている。
正式な美術教育を受けたことのない作家によって制作され、独学ゆえにかえって素朴さや独創性が際立つ作品をさす。ナイーヴ・アートの作家は、独学で手法や構成を学び、ほかの職業で生計を立てながら、個人的な楽しみとして制作している場合がほとんどである。近年では、75歳になってから農民や田園風景を描き始めたグランマ・モーゼス(アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス)が有名だが、それまで彼女は農業に従事していたという。
ナイーヴ・アートの特徴としては、明るい色彩や具象的で緻密な描写、空間表現の平坦さなどが挙げられる。この動向は、20世紀初頭にピカソやルノアールをはじめするパリの芸術家が、税関に勤めながら展覧会に出品していたアンリ・ルソーの絵画を評価したところから始まった。そしてモダニズムの作家たちによる素朴な形態や様式の援用(プリミティヴィズム)や、抽象表現主義の発展とともに、ナイーヴ・アートは現代美術の動向のひとつとして認められるようになった。
一言でいうと「アマチュア画家による芸術的な絵画」だ。日本では山下清が代表的な存在になろうか。
この展覧会はアンリ・ルソーの絵画(写真左)から始まる。彼は税関で働く公務員であった。40歳の時に本格的に絵を描き始め、無審査無償のアンデパンダン展に出展。当時、彼の作品は「10歳の子どもの作品だ」「目に涙をためてわらっていないものは一人もいなかった」など、酷評、嘲笑される。
ところが、ルソーの絵画を真剣に評価したのは、時の評論家ではなく、ピカソ、アポリネール、ドローネーといった若い前衛画家たちだった。彼らの敬意はルソーの死後はるかに高まり、その後、カンディンスキー、パウル・クレーといったドイツ前衛画家、ロシアアヴァンギャルドにも影響を与えた。
その他、多彩な“素朴派(アマチュア画家といってよいだろう)”たちの作品が展示されている。日がな一日、道端に座りながら、手にした古紙に描き始めたビル・トレイラー(写真右下)。17歳の頃からニューヨークの地下鉄、スラム街地区の壁などにスプレーペインティングを始め、その後、ストリートアーティストとして“時の人”となったジャン=ミシェル・バスキア。70歳代になり、得意の刺繍画が難しくなったとき、ペンキで絵を描き始めたグランマ・モーゼス。船乗りをやめ、船具商の店をたたんだ後、70歳になって描き始めたアルフレッド・ウォリス。
彼ら素朴派の共通点は、人生のある時に「描かずにはいられない」衝動を体験し、本格的に描き始めたことだ。
これは私自身の体験にも近い。40歳を前にしたある日、「ピアノを弾かずにはいられない」衝動に見舞われた。それはある種の啓示であり、憑依であった。“狐憑き”という言葉に近い。
ある時、白黒柄のうさぎが自分に身体に憑依し、何十年も弾かなかった電子ピアノの蓋を開けさせた。そしてピアノがないと、仕事と家庭だけでは立っていられなくなった。それが「鍵盤うさぎ」の由来。
さて、素朴派の絵画にしろ、グランミューズの演奏にしろ、専門教育を受けた美術作家の作品、プロピアニストによる演奏に比べると、技術的なつたなさや掘り下げの浅さは否めない部分がある。
しかし、王道(メインストリーム)の文脈や、その輝きとは違った何かがある。そして、その何かは、美術や音楽の芸術総体をより豊かにする可能性を私は感じる。
世田谷美術館の『アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界』展は、アマチュアのピアノ好きにぜひご覧になってほしいイベントだ。
『アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界』
会期:2013年9月14日(土)-11月10日(日)
開館時間/10:00-18:00(最終入場は17:30)
休館日/毎週月曜日 ※11月5日(火)は休館
会場/世田谷美術館 1階展示室
観覧料/一般1000円、65歳以上800円、大高生500円、中小生300円