佐村河内守ご本人と聴いた『交響曲第1番』
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『交響曲第1番 HIROSHIMA』が全国30か所!で演奏されるツアーがあり、7月6日(土)、東京芸術劇場の公演チケットをゲットした。
指揮はアレクサンドル・アニシモフ、オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団(最近、東京フィルの演奏になぜだか縁がある)。
交響曲の演奏に先立ち、佐村河内守作曲『ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調』が演奏された。ヴァイオリンは二村英仁氏、ピアノが佐藤彦大氏が演奏した。
ブラームスのバイオリンソナタ“第4番”って雰囲気を持つ、重々しくロマンティックな楽曲だった。いわゆる「新古典派」の延長線にあり、クラシック音楽好きなら誰でも楽しめる楽曲と思う。私も演奏してみたいと思った。職業作曲家として、アマチュア演奏家が「演奏したみたい」→「楽譜を買ってみたい」と思わせることは大切かも。
ところで、この演奏会は通常のクラシック音楽の演奏会にはいない観衆が集っていた。例えば、アイドル的な男性ピアニストとだと派手な女性が目立ったり、大御所のピアニストの演奏会だと門下生っぽい人たちがいたり、ブルックナーの交響曲の演奏会だと銀縁メガネの渋い老男性で男子トイレが混雑したりと、アーティスト、楽曲それぞれで独特の特徴がある。
その点、この日は、普段クラシックを聴かないような雰囲気の原宿系(?)若いカップル(私の思い込みかもしれない)や、奥さんに無理に連れて来られた風の老夫婦等、いろんな観客がいた。
いきものがかりやドリカムのライブに行けばわかるが、数十公演のツアーをこなすアーティストのライブはとにかく客層が広い。オーケストラで、かつ現代のクラシック音楽で、全国30公演ものライブを行えるというのは奇跡的なことだ。日本人作曲家によるクラシック音楽の中で、『交響曲第1番 HIROSHIMA』は、ビジネスとしてもっとも成功した楽曲に違いない。
さて、『交響曲第1番 HIROSHIMA』についての感想を。あえて、あらかじめCDを聴かず、ライブで初めて聴くのを楽しみにしていた。
まず、「長い!」。全部で75分程度。冗長に感じる部分はあまりなかったが、主題が微妙に変化しつつ、循環に循環が続く。フランクの交響曲に慣れた人なら「循環しているんだ」と理解できるが、第一楽章ですでに多くの男性がコックリコックリしていた。私の見る限り、女性の方が集中力をもって聴いていたように見えた。
次に、打楽器の編成、ベルやチェレスタの影響からか、どうしてもマーラーの交響曲第2番「復活」を思い出してしまう。ぶっちゃけ、マーラーの交響曲の地平線に対して諦めることなく歩き続けたような印象を持った。
全体を聴き終えて、次のように思った。
東京駅を想像してほしい。1913年に建築された赤レンガ造りの丸の内口駅舎はクラシックな建築そのもの。その周囲には、新丸ビル、KITTE等、丸の内のイメージに沿ったクラシックな外観の近代的ビルが立ち並んでいる。それらはクラシックなフォルムではあるが、実態は現代のインテリジェントビルだ。
佐村河内守の音楽は、現代のインテリジェントビルではなく、東京駅の丸の内口駅舎の延長線をストレートに愚直に作っているのではないだろうか。そんなことを思った。
さて、この日、何よりびっくりしたのは、後ろを振り向くと、通路を挟んですぐ右後ろに佐村河内氏本人が座っていたこと。作曲家本人と聴くシンフォニー、これは得がたい経験となった。
演奏終了後、彼は聴衆のスタンディングオペレーションと共にステージへ。杖をつきながら、何度も深い挨拶をしているのが印象的だった。思えば、これまで数多くのクラシックの演奏会を聴いたが、作曲家の多くは故人で演奏家と聴衆のみによるものばかりだった。作曲家と聴く演奏会、これこそ現代音楽の魅力だ。
この交響曲のメガヒットを機に、他の日本人作曲家の現代音楽にも光が当たることを期待したい。
下は公演パンフレットより。ハリポタのスネイプ先生に見える‥‥。
佐村河内守『交響曲第1番 HIROSHIMA』
指揮/大友直人
演奏/東京交響楽団
発行/日本コロムビア
中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、人類のあらゆる苦しみと闇、そして祈りと希望を描く、`現代に生まれた奇跡のシンフォニー`。(C)RS