6/26 ドレスデンフィル&上原彩子公演の感想
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この夏は積極的にソロピアノ以外のライブに足を運ぼうと思っている。水曜は、ドレスデンフィルハーモニー交響楽団の公演を聴きに、東京オペラシティに出かけた。ヨーロッパのオケの演奏を聴くのは久しぶりだ。その前はいつだったっけ? そうだ、昨年5月のラ・フォル・ジュルネ。ウラルフィルハーモニー管弦楽団の「シェエラザード」だった。ただ、国際フォーラムの大ホール「ホールA」(5012席)が広すぎて、どうもオーケストラの音に包まれるという感覚になれなかった。その点、今回のオペラシティのコンサートホール(1632席)はいいサイズ。「響きの中にいる」感覚を味わえた。
この日の一番の感想は「ドイツ人でかい!」。大柄のメンバーが舞台袖から出てきて全員が座ると、何だかステージが窮屈に見えた。北欧系の航空会社で、フィンランド人やスウェーデン人でいっぱいのエコノミー席に座っているような感じ。管楽器には詳しくないが、単純に肺活量と身体の大きさは比例すると思われるので、チューバのような楽器はヨーロッパ人向きなんだろうか。なんてことを最初に思った。
この日の演奏家は下の通り。
指揮/ミヒャエル・ザンデルリンク
オーケストラ/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
バイオリン/川久保賜紀
ピアノ/上原彩子
プログラムは下の三曲。
ベートーヴェン/エグモント序曲 Op.84
メンデルスゾーン/バイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64
(休憩)
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 変ホ長調 Op.73
前日に、ベートーヴェンの交響曲7番とブラームスの交響曲1番をサントリーホールで演奏する公演もあったが、そちらはスケジュールが合わなかった。協奏曲2曲というのもどうかと思ったが、本場ドイツのオケによる「エグモント序曲」には興味をそそられた。
中学・高校時代の「大学オーケストラと序曲の思い出」については、先日のマキシム・ヴェンゲーロフ公演の感想にも書いた。エグモント序曲も、初めて聴いたのは母校のオーケストラの生演奏という、若き日の思い出の曲。この曲、素人が演奏するとラストの金管楽器がパッパラパーとがさつに拡散しがちだが、さすがは筋肉質の演奏だった。クラシック音楽の初心者には、「運命」や「第九」よりも演奏時間が短くてベートーヴェンの魅力を満喫できる曲ではないだろうか。
さて、この日の二曲の協奏曲は、2002年のチャイコフスキー国際コンクールの最高位コンビがソリストを務めた。“最高位コンビ”による協奏曲の夕べ、というのがこの日のウリである。
ところが、実をいうと私、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲もベートーヴェンの「皇帝」も、協奏曲のジャンルの中では特に好きな曲ではない。メンデルスゾーンは、協奏曲というジャンルの「掛け合い」の楽しみは満喫できるものの、音楽的に心にグサッと刺さってくるものがないのだ。一方、ブラームスやシベリウスには、何度聴いても鳥肌が立つ箇所がある。昼間の仕事に疲れていたせいもあり、川久保賜紀さんの演奏は第二楽章からスヤスヤと寝てしまった。すいません、よく覚えていない‥‥。
メンデルスゾーンでしっかり睡眠を取ったので、後半の上原彩子さんの「皇帝」はシャキっとした目、いや耳で聴くことができた。
上原彩子さんの生演奏を聴くのは初めて。彼女のCDは一枚だけ持っている。『グランドソナタ』というチャイコフスキーだけのピアノ曲によるアルバム。2003年、10年ほど前、チャイコフスキーコンクールに優勝して名を馳せた翌年のファーストアルバムだ。
どうしてチャイコフスキーのピアノソロ曲ばかりのアルバムなのか、よくわからない。「チャイコフスキーコンクール優勝」という謳い文句をそのまま商品化したようにしか思えなかった。クラシック音楽好きなら、ショパンコンクールと違って、チャイコフスキーコンクールは特に作曲家の楽曲に焦点を当てたものではないことは知っている。でも、チャイコフスキーのピアノ曲なんてまとめて聴いたことがなかったので、興味半分で買ってみた。そして、一度か二度ほど聴いてそのCDはラックにお蔵入りになった。演奏以前に、収録されているチャイコフスキーのピアノ曲自体に魅力を感じなかったのだ。以来、上原彩子さんといえば、このCDのイメージがついてしまった。思えば不幸な出会いだった。
さて、彼女のピアノ協奏曲「皇帝」である。
この曲は、今まで数多くのライブに触れたが、どのピアニストとも違った興味深い演奏だった。
とにかく緻密なのだ。一音一音、考え尽くされている。例えば、弱音としての「ピアノ」なら、記譜上は「ピアノ・メゾピアノ・ピアニシモ」と三段階で表示されるものだが、彼女のピアノは10段階ほどあって一音一音に明確な意味合いを持たせている印象があった。そして的確なテクニックで音楽を紡いでいく。一言でいうとストイックな「匠の技」。私は台北の故宮博物館で見た中国王朝の工芸品を思い出した。
ただ、完全緻密ゆえ、私は第二楽章でさえリラックスできなかった‥‥。
昔、ニューヨークでストリートダンサーをやっている男性に話しを聞いたことがあり、こんなことを言ってた。「日本人は黒人のドライブ感にはどうしても勝てないんだよね。日本人はキレで勝負しないと」と。そういう点で、確かに彼女は日本人ピアニストならではの確立されたスタイルを感じる。
大柄なドイツ人のオケの中に入ると、小柄な彼女は10代の少女のように見える。しかし、凛と背筋を伸ばした姿勢でピアノに向かう彼女の姿は、武道、茶道、華道といった日本人ならではの「道」に似たスタイルを感じた。ストイックな「道」。とにかく興味深い「皇帝」だった。
最後になるが、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮のドレスデンフィルは、協奏曲とはいえ主張するべきところはしっかり主張して好感度大だった。
グランド・ソナタ
演奏/上原彩子
発売/EMIミュージック・ジャパン
私の感想と違って、アマゾンでは次のような解説があります。「幼い頃からモスクワ音楽院のゴルノスタエヴァ教授につき、ロシア音楽、特にチャイコフスキーとともに育った上原にとって、このアルバムの選曲は必然とも言えるものであった。ここには、オペラや交響曲、バレエ音楽の大作曲家チャイコフスキーが、喧騒からひとり離れてピアノに向かったときの、詩情と親密感あふれる音楽が詰め込まれている。前半は小品集。控えめで目立たず、素朴に語りかける、心優しい音楽ばかりだ。「ノクターン ヘ長調」のしみじみとした静寂感、「ノクターン 嬰ハ短調」の涙を誘う感傷など、どれも心の宝物にでもしておきたい逸品。前半最後の「くるみ割り人形」からの1曲も、小さい作品ながらスケールの大きさと熱いロマンティシズムを感じさせる。」